お父さんがコロリと死んで、お母さんがポロリと死んで、ももちゃんはおじいちゃんと二人暮らしです。パパがわりのおじいちゃんなので、ももちゃんは「ぱじ」と呼んでいます。
ぱじの冒頭
そんな漫画のお話です。
概要
基本はギャグマンガなのですが、ストーリー要素もあり、中の時間が経過していきます。その中で主人公ももちゃんも成長していき、生活環境も変化していきます。
最近の言葉で言うと日常系でしょうか。
そして作中でもたびたび見られますが、ももちゃんの保護者のぱじの老いも垣間見ることになります。
ぱじとももちゃんを中心としたほのぼのストーリーですが、時に切ない描写もあります。
僕が何十年と漫画を読んできて、”漫画で一番泣いた作品”である。と明言している作品です。
基本ギャグマンガであることと、感受性が強いと読んでてつらい描写がありますが、お勧めの作品です。
以下、細かい話
週刊連載での妙
連載開始時、ももちゃんは4歳でした。連載終了時は小学2年生。(おそらく7歳)(正確にはおばあさんになってましたが割愛)
作品中の時間はおおよそ3年の月日が流れてましたが、連載期間は1999年から2004年までの5年ほど。
現実時間より少しゆっくりした時間が作中では流れていました。
それだけに、ももちゃんの成長を身近に感じてしまいました。
この感覚は毎週読んでいたからならでは感覚だと思います。
ももちゃんのお父さんは?
作中ではほとんど出番はありませんでした。親類も出てきませんでした。謎の存在でしたね。
それだけにどのような方であったのか、想像の幅が広がります。
最後ぱじは?
読んでた人は一番気になるかと思います。
結論から言うと、わからない!
そんな中でも探っていきたいと思います。
栗本君の悲しそうな顔
結婚式にとても悲しそうな顔をしています。
後ろの伊達さんと杉村さんも微妙な顔をしています。
なぜでしょうか?
勝手な解釈ですが、
ぱじが結婚式の直前まで存命だったから。自分は勝手にそう思っています。
ぱじが結婚式直前まで生きていた説
根拠は何もありません。
しいて言うならば、テレビドラマ版では、ぱじは結婚式の直前まで生きていたことが、ももちゃん(井上真央)によって明言されています。
栗本君の悲しそうな顔は、
『もうちょっと生きていれば、ももちゃんのウエディング姿を咲田さん(ぱじ)も見れたのに・・・』
という思いの表れかもしれません。
仮に結婚式のだいぶ前に ぱじが亡くなっていたのなら、遠い過去のことなのでそこまで悲痛に感じないのではないでしょうか?
『もうちょっと・・・』
この思いがあるからこその悲痛な表情をしたのかもしれません。
しかしながら、なんとかこの説を補強するものを作中から探したんですが、見つけることはできませんでした。
結局のところ
ぱじとももちゃんの2人のお話がどうなったのか不明です。
ですが、晩年のももちゃんのセリフ
『ぱじはひとりで あたしのことをいっしょうけんめい育てて──』
このセリフの中には『育てきった!』
この意味も含まれているのではないかと個人的には思っています。
ですが、何度も書いて申し訳ないですが、ぱじと ももちゃんのどのように過ごしたか。それは作中では描写されていません。
もしかしたら、結婚式時点で ぱじは存命で、ぱじがつい転んでしまって、ハルさんが病院に付き添っていた。この可能性だってあり得ます。(根拠はありませんが。)
ぱじが亡くなっているという描写もないのです。
読み手側に大きく委ねられた描写であると思います。
原作とテレビドラマ版との違い
2013年にテレビドラマ版が放映されました。
原作を補完する部分があるのか?いくつかの設定の違いについて触れたいと思います。
ドラマ版では、ももちゃんのお父さんは3歳で事故で、お母さんは5歳の時に病気で亡くしている。
原作では明示されていませんでしたが、おそらくももちゃんが3歳か2歳の頃にお母さんが亡くなったと思われます。(見た目的に。)4歳には亡くなっています。お父さんはその前に亡くなっています。(どっかで明示されてた気がするんですけど見つかりませんでした。)
ドラマ版では、ももちゃんが5歳で、ぱじが71歳で66歳差
原作では、ももちゃんが4歳の時に ぱじが75歳で71歳差になっています。
ドラマ版では、ももちゃんの結婚式にハルさんがいる。
原作では、ハルさんの動向は不明で結婚式でも姿は見られません。
ドラマ版では、ヨリちゃんが男の子になってヨリオ君へ。
そして性格もノリ君的な性格になっています。
原作ではヨリちゃんは女の子。原作でも男の子だと思ってた人は多かった模様。自分も途中まで男の子だと思ってた。
ドラマ版では、ぱじとハルさんは幼馴染。
小学校から一緒で、ハルさんは ぱじのことを「もきっちゃん」と呼ぶ。ハルさんの性格も若干の変化がみられます。
原作では、特に幼馴染との描写はありません。
ドラマ版では、ぱじは元都電職員
大差ないのかもしれないけど、原作では元市電職員。
厳密に言うと、(東京)都電が、市電から都電へと変わったのは1943年になります。年代的にいうと、市電というのは無理があり、都電ではない別の市電で勤務していた可能性が出てきちゃいます。
ドラマ版では、舞台は東京下町
北区、荒川区、足立区あたりの風景が映ります。
原作では特に明示されてません。
ドラマ版では、ぱじの病気は心筋梗塞。
原作では脳出血になっています。
ドラマ版では、ぱじと伊達さんの出会いが語られている
各地を旅していた伊達さんが、10年前バイク旅行してケガした伊達さんをぱじが助けたのが出合い。
それ以降、伊達さんは ぱじと同じ町に住みつく。
原作では、ぱじと伊達さんの出会いは語られていません。
ドラマ版では、ももちゃんの結婚相手はヨリちゃん(ヨリオくん)
明確にはされてませんが、ももちゃんの結婚式にヨリオくんのお母さん(らしき人)が出席しているので、可能性は高いのではないかと思います。
原作では、ヨリちゃんは女の子だし結婚式に友人として出席しています。
結婚相手の描写はありますが詳細はわかりません。
ドラマ版で明示されたぱじとももちゃんのその後
結婚式での大人になったももちゃんの回想にて、
「もう少し長生きしてくれれば、もものウエディング姿見られたのにね。ぱじ」
「15年間ぱじと幸せに過ごすことができたのは、ぱじの魔法のおかげ。」
普通に解釈すれば、ぱじとは ももちゃんが5歳から20歳まで一緒に過ごし、その後 独り立ちした ももちゃんが25歳で結婚する直前まで存命だったことが伺えます。
ちなみに、一気に20年 時間が飛ぶのは原作とドラマ版も同様ですが、原作では ももちゃんの年齢は7歳であったと思われるので、27歳で結婚したことになります。
ドラマ版では、父方の祖父母が登場する
原作では、一切登場しません。
そもそも存在していたのかも不明ですが、一切登場しないことを考えると、ももちゃんのお母さんが亡くなった時点で、父方の親類はいない。 or 断絶レベルで疎遠であったと思われます。
ドラマ故、物語を大きく動かさなきゃいけない都合があるのかもしれないけど、
いくら何でも ぱじがももちゃんを手放す下りはひどすぎる。
自分史上一番泣いた漫画
実は今までネタバレ込みで話したことはないんですが、今回ネタバレ込みで話したいと思います。
20年以上前ですが未だに覚えてる衝撃
電車の中で上野駅を出発して御徒町駅に着く間に、本誌で見て『これはヤバい』って思って本誌を閉じたけど涙があふれてきちゃって、御徒町駅出発しちゃって降りる予定じゃなかったけど秋葉原で降りてトイレに駆け込もうかと思ったら一杯でホーム内ウロチョロしてたらさすがに落ち着いた。
人のいない所で読んで号泣して、コミックで読んで号泣してしまいました。
なぜ泣くのです?
辛いからです。
それゆえに人にお勧めにしにくかったりします。
週刊連載で連載開始時から毎週読んでて、ももちゃんの成長を見守るような感じで感情移入しまくってしまいました。
そんな中に現実を突きつけられたような感じ、”死”というものを身近に突き付けられた恐怖でしょうか。
第165話「想いやりのクリスマスを迎えよう!!」「ももちゃんの望むこと」
ももちゃんはクリスマスのお願いに ぱじの長生きを願います。
これは感情移入していた分、本当にやられた。
もし仮に、ももちゃんのご両親が存命で、ぱじの長生きを願ったのであれば微笑ましい話で済んだと思います。
ですが、状況がそうではありません。
ももちゃんにとって、ぱじの長生きというのは切実な想いなのです。
ももちゃんの想い
ももちゃんの意識的には、物心ついたころには両親がすでに死んでいなかった。
死について強烈に意識させられたと思います。
『自分には ぱじがいる。』というのが支えになりましたが、『どうやら死というものは年齢が高いほど訪れやすいものらしい。』ということに気が付いたのだと思われます。自分より先にぱじが亡くなってしまうであろうことを理解しています。
『ぱじがいつまで一緒にいてくれるのか?』答えなんかわからないことを延々と考えてしまったのではないでしょうか。
そして『ぱじは年齢的に考えたら、いつ死んでもおかしくない。』ということに気が付いてしまった。
”ぱじの死が目前にあるかもしれない?!”その切実な思いがあったからこそ、クリスマスのプレゼントに、ぱじの長生きを願ったのだと思います。
死について考える時期というものがあると思います。
いずれ、今いる家族と死別するし、自分も死ぬ。
誰しもがそんなことを考えたことがあるんじゃないでしょうか。
そしてとても不安な気持ちになってしまう人も多いんじゃないでしょうか。
ご両親が健在な方であるならば“家族との死別”は『まだ遠い先』と思えるかもしれません。
でも、ももちゃんにとって“家族との死別”は『いつ起こってもおかしくない、ほぼ確実に起こる現実』であるのです。
そんなももちゃんの想いを考えたら泣けてきてしまいました。
ぱじの想い
ぱじは当然のようにももちゃんと少しでも長く一緒にられるように自分自身の長生きを願い、気をつけています。
もちろん自分の身に何かあるかもしれないということは十分承知していますが、日常を過ごすうちに自身の死について意識が遠くなっていた部分もあるのかもしれません。
そんな時に唐突に知らされたももちゃんの願い『ぱじの長生き』
自身が高齢でいつ倒れてもおかしくない状況であり、そうなることでももちゃんの状況が一転してしまう。そんな非常に危うい状況下にあることを強く認識させられたと思います。
ぱじも上記で述べたような、ももちゃんの心情を考えたに違いありません。
ももちゃんが筆舌に尽くしがたい不安の中にいることをぱじは知ることになります。
死というものを理解し、そして自分(ぱじ)が先に死んでしまうこと、そしてそれはそんなに遠くない事かもしれないこと。
そして、その不安に対して根本的にはどうすることもできないこと。
自分自身も大きな不安を抱えてはいるけれども、それ以上に小さな女の子は不安を抱えていることを知ってしまった。
『長生きしたいと強く思ってもそれがかなうとは限らない、ももちゃんが感じている不安感も根本的にはどうすることもしてあげられない。』
ぱじの心中を察するに辛いものであったと思います。
ぱじとももちゃんの想いが一緒に入ってきた
読んだ瞬間、ぱじとももちゃんの想いが一緒に入ってきて泣き崩れてしまいました。
ももちゃんの不安感、ぱじの焦燥感・閉塞感、ももちゃんの心境もぱじの心境も理解できるのです。
ももちゃんも辛いし、ぱじも辛い。そしてその根本が相手を大事に思うがゆえに辛さも強くなってしまう。
皮肉な結果ですが、それだけに二人の相手を思いやる気持ちの強さでもあるのです。
でも、この話の根本は”辛い”ですし、死というものを目前に置かれた恐怖でもあります。
この難問の答えは?
この難問に、ぱじはどう答えたのでしょうか?
答えはコミック6巻です。(スマン)
最後に
読み切りから週刊で読んでて、すっかりももちゃんに感情移入しまくってしまった作品でした。
ぱじとももちゃんのやり取りの他にも、魅力的なキャラも多く出てきます。
二人の幸せな日常を祈るように読んでました。
少しでも興味を持ってくれた方は、是非とも読んでみることをお勧めいたします。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
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